・・・現代語訳・・・
 (私がお前を愛しく思うように)一緒に愛しいと思っておくれ、山桜よ。
この山奥ではおまえの他に知り合いもおらず、ただ独りなのだから。

・・・ことばの解説・・・
【もろともに】
「一緒に」という意味です。

【あはれと思へ 山桜】
「あはれ」は感動詞「あ」と「はれ」が組み合わさって生まれた言葉で、しみじみとした情趣や裏感を表す、自然・人生・芸術などに触れる事によって生まれる。
山桜を人のように例えて擬人化し、「一緒に愛しいと思っておくれ」と呼びかけています。

【花より外(ほか)に】
「花」は「山桜」のことです。「より」は限定を表します。つまり、現代用語で簡単に言えば「花だけ」とか「花のみ」と言う事になります。

【知る人もなし】
「知る人」とは知人のことではなく、「自分をわかってくれる人」のことを指していると思われます。

・・・作者・・・
 行尊大僧正(ぎょうそんだいそうじょう。1054〜1135)敦明親王の孫で参議従二位源基平の息子です。12歳で出家、三井寺で密教を学んだ後に大峰や熊野などで厳しい修行を行いました。1107年に鳥羽天皇の即位とともに護持僧に選ばれ、「験力無双」と称えられています。その後は三井寺(圓満院)の大僧正となり、第10世御門跡となられ、81歳で亡くなるまで歌人としても名声を得ました。

・・・鑑賞・・・
 作者・行尊大僧正は、修験道の行者として熊野や大峰の山中で厳しい修行を積んだ方です。修験道の行者はいわゆる山伏と呼ばれ、奈良時代に役小角(えんのおづの)が始めた仏教の一派です。 修験道と言うのは、山中で厳しい修行(荒行)を積んで霊力を得、悪霊を退散させたり憑き物を祈祷で払って病気を治したりと、さまざまな霊験を露わにします。山伏はそうした能力を得るために、不眠不休で食事も取らずに山を駆けたり厳しい修行を長く行いました。 この歌は「金葉集」の司書によると、大峰(現在に奈良県吉野郡の大峰山)で山桜を見かけて詠んだ歌だそうです。山中での厳しい修行の最中にふと目の前に現れた山桜。それは行尊にとってどれほど心を慰めるものだったでしょうか。人影のない深山にひっそりと咲く美しい山桜は、行尊大僧正の心にしみいるような存在だった事でしょう。 つい、山桜を人に見立て「一緒にしみじみ愛しいと感じておくれよ山桜。お前のほかに私の心をわかってくれる者はここにはいないのだから」と孤独をわかちあっています。 清廉な印象のある歌ですが、それは毎日の厳しい修行に対する行尊大僧正の真剣な想いと、その中にある人を恋しく想う人としての心が伝わって来ます。
この歌の舞台となった、大峰山は紀伊半島のほぼ中央に位置し、南北に約50キロ伸びる山脈を指します。〈大普賢岳〉〈山上ヶ岳〉〈稲村ヶ岳〉〈小普賢岳〉〈七曜岳〉〈日本岳〉など多数の山々の連なる山脈で、最高峰は〈大普賢岳〉の1780mです。古くから修験道の修行の場所として有名で、行場の一部(レンゲ峠じゃら山上ヶ岳まで)は現在でも女人禁制となっています。
大峰山には大峰寺があります。大峰寺の本堂は5〜9月の間だけ開かれ、現在でも多数の修験者がここを訪れます。
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